Essay [Concepts under construction]

【連載エッセイ】

概念工事中

長野智夫


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■2001/10/1 【遊】
僕は物にはあまりこだわらない方だが、最近、めずらしく集めている物がある。
それは『遊』という雑誌だ。
1970年の後半から80年の前半くらいにかけて工作舎から刊行されていた。
前から本などでその壮絶なカッコよさを目にしていて、ものすごく興味があったのだが、今となっては手に入るはずもないと思っていた。
しかし最近、新宿の青山ブックセンターでたまに見かけるようになった。
見つけると、持っていない号は速攻で買うようにしている。
しかし、内容は難しいのであまり中を読んでいないせいか、持っていない号だと思って買ったが実は持っていたというように、ダブリが出てしまった号もある。
それでも、このただごとではないデザインのせいで、持っているだけでうれしくなってしまう。宝石のような本なのだ。

■2001/10/2 【ゲームでメタフィクション】
ここのところ1年くらいまったく趣味でゲームをやっていなかったが、最近面白いゲームを発見した。
『花と太陽と雨と』という、PS2用のアドベンチャーゲームである。
ゲームの構造が非常にしっかりしていて、それでいてなおかつ独自の雰囲気を持ったシナリオが秀逸だと思う。
前に、アメリカの現代文学みたいな話をゲームでできないだろうかと考えていたことがあったが、本当にそれがうまく実現されている感じがした。
こんなゲームって作れるんだ…ゲームでこんなのがありだったんだ…こうやって作ればよかったのか…、などいろいろ思うところが満載であった。
しかし、残念なことにあまり売れていなさそうなのである。
この人たちをこのまま埋もれさせておくのは、惜しいと思う。
僕は、できることなら、この人たちに次のファイナルファンタジーを作って欲しい。
それなら絶対やってみたい。
ハリウッドなどでは、それまでマイナーなものを作っていた才能がありそうな監督を、人気作の続編の監督に抜擢したりすることがよく行われているが、そういうのをゲームでもできないだろうか(FF9って最初そうだったらしいけど)。

■2001/10/5 【クリエイティブがすべてとは…】
ファミ通.comの売り上げランキングをぼーっと眺めていて、急に、ハッとなった。
ここ数ヶ月の間に、糸井重里の本を何冊か読んでいたのだが、そこで主張されていたことが、急に実感できたのだ。
「そうか」と。
ランキングを眺めていて、ゲームがあいかわらず売れていないなあと思っていた。
なぜなんだろう…と考えていた。
でも一方で、自分の生活実感としては、すごくわかるのだ。
そんなに欲しいと思うソフトがないし、仕方ないよなあ…と。
簡単なことだが、本当に欲しいと思うものでなければ、人は買わないのだ。
これは、ゲームのような不急不要の嗜好品だからより顕著なのだが、実は、現代の社会、生産力が消費力を上回ってしまった社会では、あらゆるものがこうなっている。

糸井氏の著作では、「今は水道管を引いている者が力を持っている。でも、それが行き渡ってしまったら、あとはそこに何を流すかだけの問題になってくる」とか「クリエイティブが社会のすべて」といった主張がされている。

要するに、社会全体というのは、“現代的な生活”を維持・改良するための物資・技術の生成と運用のためのしくみだ。
例えば“現代的な生活”にはパソコンが必要なのに、みんなパソコンを持っていないとしたら、そのみんなから、パソコンを大量に作るしくみが必要とされる。
必要とされているときは、とにかくそれなりのものを作れば、それなりに売れる。
しかし行き渡ってしまったら、もうそれなりのものは、ひいてはそれを作るしくみやそのしくみに乗っている人は、いらなくなる。
あとは、「本当に欲しいパソコン」だけが買われることになる。

あらゆる分野がこうなっていく、あるいはすでに、こうなっているのだろう。
自動車や洋服なんかはもちろん、食べ物だって、電化製品だって、インターネットのプロバイダーだって、企業の社内情報システムだって、ウェブサイトだって、建設業だって、銀行だって、携帯電話だって、携帯電話用のコンテンツだって、老人介護サービスだって、病院だって、そうなのだろう。
今需要があって、人手不足と言われている産業でも、結局同じ道をたどる。
技術が急激に進歩していて、それを必死に追いかけている産業でも、結局同じ道をたどる。
そこが、見落としがちなところだと思う。
なにか、人間のよろこびとか、しあわせといったことに関連しないところで、どんどん何かを作っていけば商売になる領域が経済の主流のような感覚を、つい抱いてしまいがちだ。僕もゲームなど作ってはいるが、経済の主流はやっぱりそういうところにあるような気がしていた。
それを糸井氏は「これだけ言ってんのに、まだわからない」という言葉で表現していたのだろう。

いろんな価値観を持った人々を相手に、すでに足りている人々を相手に、「本当に欲しい」と思われるものを作るのは、難しいことだ。
そこを突破する手段が、糸井氏の言い方だと“クリエイティブ”なのだろう。
だから確かに、あらゆる物やサービスが行き渡る体制ができてしまっているところで、経済活動が行われる社会って「クリエイティブがすべて」になるよなと思う。
なんかそういったことに、今ごろ思い至った今日この頃だった。

■2001/10/6 【花と太陽と雨と】
前述の『花と太陽と雨と』をクリア。
で、ここで、この前の“秀逸なシナリオ”という部分は撤回したい(笑)。
全体的な雰囲気作りは秀逸だが、シナリオはあんまり…秀逸じゃないかも。
でもまあ、かなり面白かったのは確かだ。続編の発売を期待する。

■2001/10/7 【ゲームの話をしよう】
『ゲームの話をしよう』の第2集が発売されたので、さっそく読んでみた。
今回の巻末特別インタビューは八谷和彦。ポストペットを作った人だ。
で、ポストペットのヒットを受けて、みんな同じことを考えるんだなあと思った(簡単に言うとこのHPの『蒸発するゲーム』とか、この連載の2000年頃の記事みたいなこと)。
というか、この人が元祖なんだけれども。
僕も今の会社が仕事が取れなくてちょっとヤバそうだったとき、最悪、つぶれたら(笑)、どうしようか考えたことがあった。
僕の歳で僕くらいの実績だと、この不況のゲーム業界に再就職するのは難しそうだから、携帯機器向けの組み込みブラウザとかそういうものを作っている会社に、ソレ用の企画書を持って面接に行こうかなとか考えていたな。
幸い、そうならずに済んだんだけど。
ああ、それにしても、アクセスカウンタがいつもより5多く上がっていることが、こんなにうれしいというのは、ちょっと忘れていた感覚だ。

■2001/10/8 【ゲームの話をしよう2】
本格的に、ゲームが終わる気がしてきた。実際、売れてないし。
『ゲームの話をしよう』の第2集の主要テーマはそこだったように思う。
八谷和彦がインタビューで、「たんに面白いだけでは限界があるというか、みんな暇だった昔はそれでよかったけれど、いまはちょっと難しいのかなあという気がする」という話をしていた。
ゲーム業界の内部にいると、そういうことをうすうす感じてはいても、いや、それは“本当に面白いものがない”から…とつい前向きに考えてしまいがちになるが、外からの意見としてそこまではっきり言ってくれると、逆に楽になる。
やっぱりそうだよなあ…と。携帯電話と生身の人間に、勝てるわけないよなあ…と。

■2001/10/9 【なんかそういうようなもの】
たとえば馬を飼っていて、仕事とか学校の帰りに、自分の家の最寄り駅に着いたとき、そこでうちに電話をかけて1コールで切ると、その馬が迎えに来てくれるというのは、楽しいんじゃないか。と言っていた人がいた。
僕は、確かにそれは楽しそうだと思った。でも馬はちょっと飼うの大変そうだから、犬くらいでもいいな、乗れないけど。と思った。
忠犬ハチ公みたいに勝手に来るんじゃなくて、電話すると、かったるそうに来る…というのがいいかなと。
たとえばそういうものだと思う。
そういうものというのは、あったらあったで絶対に生活が楽しくなると思う。
こういう感じがするものを具現化するメディアって、ゲームが一番近いのかも知れない。消去法でいくと。
でも、いわゆるゲームである必要は、必ずしもない。
ただ、少ない労力で最大の効果を上げる手段として、ゲームを作るときに使う文法というのは使えるかも知れない。
ゲームが必要とされていない時代にゲーム作りの手法を会得する意味は、そういうことなのかも知れない。

■2001/10/12 【たまにはこういうこともある】
今日は日記。
仕事の節目のプレゼンの日だった。
わりと大収穫。
あこがれのあの人にも会えて、ちょっとだけほめられた(ような気がする)。
いろいろ勉強になった一日だった。
たまにはこういうこともある。

■2001/10/16 【うれしさを売る】
先日のプレゼンで、あの人がよく口に出していたのが、「うれしさ」という言葉だった。
「これ、思っていたよりうれしくないな…」とか。「これをユーザーがめんどくさいと思うか、うれしいと思うかは微妙やけど」とか。
たぶん、仕様を考えたり、詰めたりしていく上での、キーワードになっているのだろう。
実用品ではないコンピューターソフトを作って売るというのは、確かに、「うれしさ」を作って売るみたいなものかも知れない。


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 日本偽現実工学会会報 [The Bulletin of Japanese Fake Reality Engineering Society]
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