【概論1】偽現実としての宗教


宗教とは何でしょうか。いろいろ定義の仕方はあると思いますが、ここではとりあえず『日常的現実世界を超えたところにある世界を想定することによって、現実の生き難さを解消する又は回避するための心理的プログラム』と考えることにします。

これによって、価値の転倒が可能になります。

まず、ある社会の中で冷遇されている集団があるとします。この集団は、その社会の価値尺度で捉えると「卑しく惨めなもの」ということになります。しかし「実はこの世は仮の世界で、この世を超えたところに真実の世界があり、この世での体験はその真実の世界に入るための修行の期間である。よって、この世で苦難を味わった者のみが、その真実の世界に入ることができる」と考えればどうでしょうか。現世での自分たちの境遇を肯定的に捉えることができ、環境としては変わりがなくとも、心理的に楽になります。さらに、この世で隆盛を誇っている集団よりも、心理的に優位に立てるのです。
今の例は因果論的な考え方ですが、これが決定論的な考え方になっても基本的な構図は同じです。「この世は仮の世界で、この世を超えたところに真実の世界がある。しかし真実の世界に入れるものは、あらかじめ超越者が決定した者だけである。そして、この超越者の存在を実感できる事こそが、選ばれた者の証である」ということになります。この場合もやはり、価値の転倒した教義を信仰する者が心理的に優位に立つわけです。

では、宗教は、どのようにして偽現実を構築し、人々に伝えていたのでしょうか?
まず「物語」という形式を多く用いたと言えます。これによって、その宗教の世界設定、行動規範、価値尺度などの教えを人々にわかりやすく伝えることができました。そして、大規模な建築物も偽現実の構築に重要な役割を占めました。その建物の構造・外装・内装によって日常の中に異世界を出現させ、そこで儀礼などを行うことにより、人々に異世界を体験させることができました。
また、ルネサンス期に遠近法というものが確立しましたが、これは現在のCGによる仮想現実に匹敵するものでした。本質は同じ。だまし絵として使われていたわけです。建築技術が発達していなかったその当時、建物には窓があまりありませんでした。そこで、遠近法を使って壁に絵を描き、あたかもそこに窓があり、外の世界を覗いているかのように見せていました。レオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」はそういうもので、窓の外にあたかもイエスとその弟子たちが聖書にあるドラマを繰り広げているように見せていたのです。ミケランジェロのシスティナ礼拝堂の天井画もその一つです。テーマパークのアトラクションやCGを使った仮想現実に慣れている現代の我々でさえ、圧倒される程の荘厳なものですから、当時の人々にどれだけインパクトがあったかは計り知れません。しかもそこには、技術主導の現在にはない、「世界観とそれを構築する技術との有機的な結びつき」があったはずです。
さらに、このような世界観の具現化のための技術のほかに、人間の心理内部での偽現実構築技術も用いられました。カバラ・記憶術・大いなる術などがそれにあたるでしょう。このように、宗教周辺にあった偽現実構築技術は、現在でもあなどれない程の高度なものだったと考えられます。
これらを研究し、現在の情報技術を使って高度な偽現実構築のために応用することには、大きな可能性が秘められているのです。


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