【補稿1】サイバーパンクの修道士


ウィリアム・ギブスンの小説「モナリザ・オーヴァドライヴ」に『ジェントリィ』という人物が登場する。汚染が進み、打ち捨てられた廃工場で、一人孤独に「サイバースペースの総体としての形」を追求しているというキャラクターである。
このキャラクターは、一体何なのであろうか。何を追求しているのであろうか?
ここでは、それを考えてみることにしよう。
まず、「サイバースペースの総体としての形」とは何を意味するのであろうか。
サイバースぺースとは、世界中のコンピューターネットワークが形成する情報空間である。ならばこの総体とは、世界中を飛び交うあらゆる情報の総体と考えることができる。

一方、経典宗教における聖書とは、世界の叡智を全てその中に含む、マスタープログラムのようなものであると言える。世界の始まりからはるか彼方の未来までに起こること全て、その間に考えられるであろう事全て、書かれるだろう書物全てが、かたちを変えて収められていると考えられていた。カバラなどは、それを探求する方法であった。つまり聖書というものも、「世界のあらゆる情報の総体」を意味しているのである。
ここに、「聖書」と「サイバースペース」のアナロジーが成立する。そして、世界の情報の総体のかたちとは、「神」そのものである。

ここで最初の問題に戻ろう。『ジェントリィ』は「サイバースペースの総体としての形」を探求することによって、何を見ようとしていたのか。それは「神」である。つまり、このキャラクターは、サイバーパンク世界での修道士であったのだ。
このように、カバラ的世界観というものは、形を変えて様々なところに現れている。


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