Takeshi NO CHOSENJO
 Review [Takeshi NO CHOSENJO]

 【評論】

 たけしの挑戦状(1986)

 1995 渡辺浩崇


このゲームは1986年にタイトーから発売されたファミコン用ソフトです。
ジャンルはアクションアドベンチャーになるでしょう。
このソフトが発売された当時はファミコンブームの真っ最中で、出せば何でも10万本以上は売れたという、いわゆる粗製濫造の時代でした。
そんな時代に発売され、その内容にもかかわらずかなりの本数が売れたそうです。

では、このゲームの内容とはどんなものだったのでしょうか。
基本的には横スクロールのマップ上を歩いて、ジャンプやパンチや銃を撃つといったアクションを行うゲームでした。
舞台は日常世界。とある町の中です。主人公は平凡なサラリーマン。
ゲームの目的は平凡なサラリーマン生活から脱け出し、南の島に探検に行き、宝物を手に入れるというものでした。
町の中には自宅、勤め先、パチンコ屋、八百屋、銀行、旅行代理店、カルチャースクール、各種飲み屋から空港までありました。
プレイヤーはその町の中を自由に動き回りながら、ゲームを進めてゆくようになっています。
しかし、解かなければならない謎があまりにも難しく、あまりにも理不尽だったため、大多数のプレイヤーはゲームを解くことができませんでした。
ですがその当時は、誰でも解ける親切設計という思想は皆無だったので、それだけならば大したことはありません。
しかし、このソフトはプレイヤーがゲームで楽しく遊ぶというその行為自体を拒否しているフシが多くありました。
つまりクソゲーだったということです。
通常、このソフトの評価はここで終わります。
しかし、私がここで取り上げたことにはわけがあります。

私はこのゲームが好きなのです。
それはなぜか。それをこれからお話しします。
このゲームのどこが良いのか。
まず挙げられるのがその世界観です。
一応日常世界が舞台なのですが、見かけは日常世界でも、その中身はといえば日常の規範から逸脱した異様な世界でした。
道を歩いているとヤクザや警官がいきなり殴りかかって来るし、自宅に帰ると奥さんが殴りかかってきます。
応戦しないとそのまま殺されるし、応戦すれば相手を殺してしまいます。
また、ゲームを進めるために主人公は会社を辞め、離婚をして、銀行から貯金を下ろし、ハングライダーの免許や航空券や宝の地図を手に入れ、飛行機に乗ります。しかし全ての条件を満たしていないと途中で飛行機が爆発し、死んでしまいます。全ての条件を満たして南の島に着くと、そこでは銃を手に入れることができ、通行人をより素早く殺すことができるようになるのです。
まったくひどい世界です。
一説には、これは現代社会を風刺したものではないかとも言われています。
しかし、風刺というのは、まず世界とはこうあるべきだという理想が存在し、その理想と現実の違いを誇張して見せる手法のことです。
ですがこのゲームには、その表現を通して伝えようとしている理想というものがあるようには思えませんでした。
つまりこのゲームの世界は風刺とかデフォルメとかいう範疇を超えた、まったくムチャクチャな世界だったということです。
日常のフリをした非日常の世界。

しかしそこには不思議な解放感がありました。

ゲームシステムから外れていない、プログラミングされた範囲のことならプレイヤーは何でもできるというゲーム内の規範が、日常に模した世界の中で適用されることによって、そこがシュールでアナーキーな非日常世界になってしまうという感覚。
そんな感覚が面白いと私は思いました。
といっても私は当時中学生だったので、そこまで明確に言葉にはできていませんでしたが、その当時に感じていたことは多分こういうことだったのだろうと思います。

また、ゲームに限らず娯楽というものは、退屈で窮屈でつらい日常から脱出して一時的に別の世界にジャンプしたいという人々の欲求を満たす目的で存在しています。
ごく一部の良質のものはそれ以上の効用をもたらすことがあるかも知れませんが、ほとんどはそうです。
だから通常、ゲームでは日常から離れた、見たこともないような異世界を用意しようとします。
ユートピア的なファンタジー世界や未来世界で英雄として活躍する。
市長になって自由に街を作る。
麻雀に勝つと女の子が脱いでくれる。
自己完結的な行為を繰り返しているだけで自動的に女の子が寄ってきてくれ、さらに告白までしてくれるといったように。

それに対して、この「たけしの挑戦状」はそんなまわりくどいことはしていません。
平凡なサラリーマンがそれまでの社会生活を捨てて、南の島に渡って宝物を見つけ、大金持ちになるという、日常からの脱出のテーマをそのまんまゲームにしています。
この露骨さというか、直接性はただごとではないと思いました。

しかし今後、ゲームユーザーの年齢層が上がって来るにつれ、おとぎ話的なユートピア世界のみではなく、現実世界のテーマなどをゲームに取り入れることも重要になってくるのではないかと私は思います。


【目次に戻る】

 日本偽現実工学会会報 [The Bulletin of Japanese Fake Reality Engineering Society]
 *このサイトはリンクフリーです。無断転載は禁止いたしますが、無断リンクは奨励いたします。 postman@fake-reality.com