■異界とは何か

見てきたものや聞いたこと
今まで覚えた全部
デタラメだったらおもしろい
そんな気持ち分かるでしょ

ザ・ブルーハーツの歌『情熱の薔薇』の一節です。
人は日常の中に埋ずもれていると、どこか息苦しくなってくるものです。日常には一定のルールやシステム・価値の序列などがあり、人は生きていくためにそれに従うことを強いられます。しかし、それらのルールやシステムは、原始的な動物にとっての本能プログラムのように自然なものでありません。人間にとってそれは自らの欲望を規制するものとして立ち現れる、理不尽なものなのです。しかし、それに従わなければ生きることはできない。そんな制約が、息苦しさを生じさせるのでしょう。

人はこの息苦しさから解放されようと、様々なことを試みてきました。

身近なところでは、スポーツにもそういう側面があると言えます。スポーツは、もともとはサッカーならボールを蹴る、バスケットボールならボールを投げて籠に入れたりボールを弾ませたりするといった行為自体の気持ちよさがもとになっていると言えます。しかし、ルールを整備して一つの競技にするということは、日常のシステムとは全く別の、単純で完結したシステム、つまり一種の異世界を作り出し、その中に没入することによって日常のシステムから解放されようという意味があるのです。そう考えると、スポーツマンシップというのは、それをより徹底すること、つまり日常のルール(スポーツの世界の外の利害関係など)を持ち込まずに、スポーツの世界に徹底して没入するということだと言えます。
しかしスポーツは、近代的社会システムという大枠に組み込まれた中でのひとつの別世界です。スポーツによって確かに、多層的な価値序列をつくることができるものの、すべては予定の範囲内のことであって、大枠からは脱け出していません。大勢のプレイヤーが一定のルールの中で競い合うという競争原理。人体の科学的分析から導かれるトレーニング方法と栄養管理によって理想的な肉体を作っていく合理性。それによって人間の能力を無限に拡大して行こうとする果てしない欲望。この、競争原理・合理性・拡大傾向というものは、そのまま近代社会システムの原理そのものだからです。

もっと根源的な異世界の一つが宗教であり、日常のシステムを超えたところにあるもの、つまり異界の存在を想定し、日常のシステムの息苦しさからの脱出を意図したわけです。

いつの世でも人は外部を求めるものです。窮屈な日常の規範を完全に乗り越えさせてくれる外部。それは、神の世界・死者の世界といった宗教的外部、宇宙人や宇宙意志といったSF的外部、前世やパラレルワールドといったオカルト的外部、電波による強力な個人的妄想など、さまざまなかたちで表現されます。
そういった、この世でない世界・彼岸の世界をここでは異界と呼ぶことにし、多側面からその姿を追求していくことによって、新たな異界の可能性を探ろうというのがこの特集の目的です。
なお、今回の特集「異界」は偽現実工学研究所第2第3研究グループ宗教工学研究室のメンバーによって編集されました。

※この特集が初掲載されたのは1997年です

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